『A』

DVD。
森達也による、オウム真理教のドキュメンタリ。初公判の前後、マスコミ対応や本拠地からの移転・撤退に揺れる教団を、広報副部長・荒木浩を中心に、内部の視点から描く。
まあなんつーか、内的にも外的にも、異常な状態に置かれた人間のドラマとして、べらぼうに面白い。こんだけ世界的にセンセーショナルな事件を起こした組織に接近したのみならず、崩壊の危機にあるカルト/テロ組織が、それでもサヴァイヴしようともがく姿…それは組織としての存立以前に、それがなければ生きていけないと見える人たち個々の、一方では自己の宗教的練磨だけを希求しながらも、互いに寄り添わざるを得ない、必死の生存への希求に見える…を映したフィルムなんて、他に類例があるんだったら教えてほしいってぐらいに貴重。事件に対する思い、あるいはマスコミや公権力に対するスタンスは観る人によっていろいろとあるだろうけど、そうしたいずれの視点においても見所のある仕事。『FAKE』もそうだったけど、一体どうやって人の警戒心の内側に入って、こんだけの濃密で近接的な映像に仕立てるんだか興味が尽きない。
見所はたくさんあって感想は散漫になるけど、まず「転び公妨」のシーンはそれだけでドキュメント史の伝説たる仕事。あのとっつぁん坊やみたいな顔した公安の人、完全な晒し者として全世界に顔割れたけど、その後仕事大丈夫だったんだろうか。あとどうしても対マスコミの視点が多くなるけど、完全なマスコミ批判と見えたのは破防法非適用後の会見に「喜色満面」なんてナレーション被せてきたあたりぐらい*1で、完全に能力範囲を超えてアポケーに至ったNHKの女性記者や、荒木氏が対峙する取材許可取り付けに必死なマスコミの面々にも、どこかしらシンパシィを感じさせる視線もあったり。まあそれは、すべて観るこちらの価値観の反映でもあるわけだけど、そうした相対性をゆるす表現は、対面のマスコミの視線とまったく対照的なものであって、この作品と作家が、そうした体制から弾き出されたのは、まあ言ってみれば当然の話。
批評的に面白い部分、野次馬的な興味関心において惹かれる部分が多いのは否定できないけど、それでも心情的に胸を打たれるシーンもあった。まずは被害者の会、永岡弘行氏との会話は、ああ人間こうありたいものだと尊敬の念を抱きました。そこに対照される地域住民の皆さんはちょっと可哀想でもあるけれど。あと婆ちゃんもってくるのはズルいよな。写真渡すって最高の演出も、それを見せてしまう荒木氏の無警戒さも、森達也って作家の手腕を示してラストの余韻が複雑だなーと、俺なんかは感動しつつも警戒してしまうのだけど。ライナーノーツ的な撮影日誌では、帰りには説法のテープ聴いてなかったなんて更なる追い討ちまで記してくれているし。
同僚に貸していただきましたが、期待通りの凄い作品でした。ありがとうございます。『A2』も観ます。

A [DVD]

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*1:しかしこれ、メディアが自分の権力監視の使命に自覚的だったら絶対やらないしできない演出だよね。まあワイドショウに職業倫理なんて求めてもね…。