P.オースター/柴田元幸(訳)『ミスター・ヴァーティゴ』新潮文庫

ネタバレ注意。
お盆休みだからとっておきを読もう企画。
ストリート・キッズの少年が、黒づくめの男…「師匠」に拾われて辿る数奇な運命。
オースター読むのは二作目ですが、活力に溢れた文章(とそして言わずもがなの見事な翻訳)と奔放なストーリィ、喪失を繰り返すことによってなにか本当に大切なものに辿り着くという主題が、なんだかしっくりと自分に馴染んだものとして感じられます。
読んでいて僕はいしいしんじを思い出したのですが、そのメルヘンとしての手触りというおおまかな印象以外に、『麦踏みクーツェ』のあらすじを思い出したからなのですね。
曰く、≪少年の身にふりかかる人生のでたらめな悲喜劇≫(いしいしんじ『麦踏みクーツェ』新潮文庫、裏表紙梗概)。マジでこの『ミスター・ヴァーティゴ』、デタラメなんですよ。物語の流れを「読む」ことができません。最も残酷で哀切なシーンの直前に、最もあたたかくて感動的な台詞があったりする、それはとても心地のいい翻弄なのだけれど。

 師匠は何も言わずに長いあいだ俺を見ていた。それから、ふっと左手をのばして俺の腕をつかんだ。「いまのお前が何者であれ」と師匠はようやく言った。「お前がいまあるのは私のおかげだ。そうだろ、ウォルト?」
「そうに決まってるでしょ。師匠に拾ってもらうまで、俺はまるっきりのろくでなしだったんだから」
「逆もまた真だってことを知っておいてほしい。いまの私が何者であれ、私がいまあるのもお前のおかげなんだ」
(306p)

…泣ける。
山があれば、その後に谷がある。ウォルト・ザ・ワンダーボーイの奔放な空中舞踏のイリュージョンは、そのままこの小説の似姿だ。喪失と歓喜を繰り返し、ただ続いていく人生の賛歌。
だからこの小説にハイライトはないのだけれど、あえて言えばそれをすべて乗り越えた上でのラストのセンテンスは実に…この上もなく感動的で、最高に震えました。こんなかっこいいラストシーンを、俺は他に知らないです。
評価はB+。

ミスター・ヴァーティゴ (新潮文庫)

ミスター・ヴァーティゴ (新潮文庫)