P.オースター/柴田元幸(訳)『ムーン・パレス』新潮文庫

ネタバレ注意。

 本を売り払うにつれて、僕のアパートはどんどん変貌していった。何しろ、箱を一つ開けるたびに、家具の一部を破壊することになるのだから。(中略)部屋は僕が置かれた状況を測定する機器のようなものだった。僕というものがどれだけ残っていて、どれだけなくなってしまったか。僕はそうした変容の犯人にして目撃者であり、たった一人の劇場における役者にしてかつ観客だった。自分の四肢が切断されるのを、僕はつぶさに見届けることができた。自分自身が消えていく過程に、逐一立ち合うことができた。
(41-42p)

ベトナム」に対する反骨や、ウッドストックの狂乱。「その時代」のアメリカ的なすべてに背を向けて、思想的非労働と困窮に内向する主人公(卵のシーンとかバカすぎw)。俺がどうでもいい蔵書を乱読しては売り払っているのに、別にこんな切迫した思想性はないし、誰に受け継いだものでもない浪費のツケを今払っているだけなのだけれど。でもシンパシィは感じた。
ということで、ポストロックだのマンガだのにかまけている間に、久しくマトモな本を読んでいないことに気付いたので、とっておきを引っ張り出してきました。フレンドuubさんにご紹介いただいたこちら、初オースターです。アメリ現代文学というやつは、俺の読書遍歴からすっぽり抜け落ちている部分なので、語れる語彙とて乏しいですが、まあ。
主人公の大学時代の思想的非労働→極限の困窮生活から、「助手」として奉職する老人の一代記を通じて、自らのルーツ・血の宿縁に向き合わされる、というのが大まかな流れ。それは「文学」とは言いながらも、優れた青春小説として、哀切なラヴストーリィとして、あるいは冒険小説、ニューヨークの都市小説、基調としてのコメディなど、ジャンル小説としてのエンタテインメント性も兼ね備えている。軟弱な読者としての俺がこの濃密な大部に臨むにあたって大事だったのはそこで、さすがの上にもさすがの端正な訳文の効果も絶大なものがあり、愉しく読むには充分でした。
反復されるテーマ…喪失と再生、偶然や宿業の連鎖…、魅力的なキャラクタとエピソードを介して描かれる主題にも、奥深い感動があります。エフィングの寂寥の台詞を引用。

「もうやってみたよ。いまでも頭のなかにみんな入っている。どこでもない場所のど真ん中の、何もない荒野に、独りぼっちで何か月も何か月も……まる一生だよ。そういうことはな、一度やったら絶対に忘れられるもんじゃない。わしはどこへも行く必要なんかないんだ。ちょっとでも考えれば、とたんにもうそこに戻っているんだから。このごろじゃ一日の大半はそこにいるのさ――どこでもない場所のど真ん中に戻っているんだよ」
(185-186p)

反復される主題のなかにあって、この荒涼もラストに至って救われている。見事な対照。
そして最も感じ入ったのは、その主題に要所で絡めるイメージ・シンボルの美しさでした。「ムーン・パレス」ってタイトルだけでSFだと思ってたぐらいなのに、中華料理屋じゃんw
評価はB+。

ムーン・パレス (新潮文庫)

ムーン・パレス (新潮文庫)