『ただ、君を愛してる』

@ピカデリー
ネタバレ注意。
名駅のピカデリーに行ったのですが、予定していた回とその後の回共に満席売り切れ。結局夜の回を観ることに。70人程度のキャパとはいえ、それなりに入ってはいるようです。…だってあのCMやばいなんてもんじゃねえからな。

というわけで以下は宮崎あおいの礼賛記事です(注※キモいよ)。

映画としてのクオリティは、はっきり云って高いものではありません。お涙頂戴の愚にもつかないストーリー(と安っぽいセリフ…そこで「君は僕の世界のすべてだった」ってありえねーだろ)、景観の美しさを押し付けまくる鈍い演出(二人が並んで歩くとこの長回しだけ良かった)、凡庸に大仰な音楽、「彼女」を除けば揃って無味乾燥なキャラクタ、そして最低の主題歌(「それだけでよかったのに」ってのはこの作品のテーマから最も遠いフレーズ)。
キャストに関しても、黒木メイサの平板な演技には「どんだけ歯見せんねん」と苛つかされましたし、実年齢とのギャップを埋めようとする玉木宏の努力も実を結んだとは云い難いものでした(ラスト近くでの彼の被写体としての魅力には感心しましたが)。

しかし…「映画の神に愛された少女」は、たった独りでこの志の低い映画を成立させているのです。

「かわいい」とか「透明感」とか「ナチュラル」とか、そんな言葉では到底表現することのできない圧倒的な存在感。この映画はただ、一人の女優の天才だけを鑑賞するためのものです。その戦慄に、僕は涙しました。
「幅」。彼女が演じたキャラクタの設定、それによって要求される「変貌」は、彼女が持つその才能を以ってのみ表現し得たものでしょう。同年代のどの女優を当てはめても、このキャラクタの成立を想像することはできません(蒼井優でも無理だろ。彼女はもっとナチュラル寄りだから)。「不思議ちゃん」としての嫌味のない演技、眼鏡を外した瞬間の表情、その後のキスシーンで一瞬口元に浮かべた微笑み、そしてラストの「写真」における造形美…ただただ、宮崎あおいという女優に感嘆し、その存在に感謝する二時間でした。
そして、

あのぬるぬるのやつ使っていいよ?

で、俺は一回死んだ。