水村美苗『日本語が亡びるとき』筑摩書房

ネタバレ特になし。
貸していただきましたありがとうございます。
タイトルから一般的にどんな内容がイメージされるものか分かりませんが、今時ワイドショーネタにすらならないような、「日本語の乱れ」とか、そんな慨嘆を吐くだけの本ではありません。それは文字通り、言語の「滅亡」…そこに託されていた思想や、文化的蓄積の断絶を憂う本です。
世界史上での言語ヘゲモニーの変遷や、日本語から見た日本史…「奇跡」としての日本近代文学史を概観しつつ、語られるのは日本語の、「滅び」のヴィジョン。
著者が偏愛する(しているだろう)近代文学史についてはややハシり気味になるのを微笑ましく見ながらも、大勢においてはその冷徹と緊密に感嘆を吐かざるを得ない質の高い文章が、その拠って立つ言語の「滅び」のヴィジョンを、より救いない諦観としてまざまざと突きつけてくれます。グローバリゼーションというマクロな潮流の中で、言語もまた変質していかざるを得ない、作者が示すヴィジョンはそうドラスティックなものでないにせよ進行していくだろうし、一種開き直りの爽快感にも似た感覚さえある。もはやヴィジョンですらなく単なる事実なのかもしれないと、そういうふうに。
だけどこれだけの知性がその行く末を真剣に憂いて、このような本をものせざるを得なかったように、「叡知を求める人」たちにこの危機感が共有され得ないと、それがグローバリゼーション程度の流行タームに抗し得ないと、どうして言えるだろうかと、僕は同時に思ったのですけど。
この本で最も感動的なのはおそらく、そうした人たちがそれぞれ真剣に「自分の言葉」に、それによる表現に、いろんなものをすり減らしながら向き合っている情景であったし、その情景は「滅び」のヴィジョンに十分に対抗できる力感を持っていたと思うのですが。人は自分の言葉で、書き、語り、また読み続けることをしないではいられないと。…それともそんなものは、あまりにもピュアで太平楽な見方でしょうかね。
僕はとりあえず、読み続けたいと思います。きっとろくでもないものの方が数は多いでしょうけど。
評価はB。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

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