高橋和巳『堕落』小学館P+DBOOKS

ネタバレ注意。

人が滅びるのは、自堕落によってではない。むしろそう、その人間を勇気づける理想によってなのだ。
(36p)

満州から引き揚げて、混血児収容施設を運営する男の「心の荒野」を描く長編。

満州という題材が、中国文学の研究者である高橋にとって、切実で重いものであったことが感じられる。芝というキャラクタには中国文学・哲学の雄大な蓄積が仄見え、実はよりスケールの大きな構想があったのではないか、それを読んでみたかったという思いもする。

歴史が無辜の死によってなるものなら、それは如何に傷ましかろうと、まだしも美と清浄の夢想だけでも、この地上には残る。青年たちよ。せめてその精神がけがれ切らぬうちに、死ね。
(124p)

かつての満州の曠野を、自らの精神の荒野とした青木隆造という主人公の生き様…色魔としての堕落はあさましくも痛ましく、やがて人を殺め(黄色いビニール傘のイメージの鮮烈!)、過去の事蹟が暴かれるに至る終盤の怒涛の筆致は、目を背けたくなるほどに哀しい。

作者の雄大な構想は完全な実現をみなかったが、あまりにも昏く、陰惨に結実したヴィジョンは、また作家の一面を鋭く照射して忘れ難い。傑作である。

評価はB+。

堕落 (P+D BOOKS)

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