syrup16g 『syrup16g』

セルフタイトルのラストアルバム。
結局危惧は当たっていて、解散してしまうということなのでした。

理想を夢見てきた
いいだろう
途中までいい感じだった
破滅の美学なんかを
利用して
いざとなりゃ死ぬつもりだった
(「ニセモノ」)

こんないつも以上にミもフタもない言葉を、激しい音像に吐き散らす冒頭は、ロックに殉じるような意気込みの表れに感じ、その刹那性はいかにもシロップらしいなあと思ったのですが。
その後。

悲しくて 悲しくて
涙さえも笑う
優しさも 愛おしさも
笑い転げてしまうのに
(「さくら」)

僕が見たいのは あなたの笑顔で
宇宙の神秘は どうでもいい
僕が聴きたいのは 真っ白な歌で
どこまでも澄んだ まぶしい闇
(「君を壊すのは」)

…儚くさえ映る、優しくて美しい言葉。シンプルさが彩りへと転化する稀有なギターロックの表現力。もともと一流だったそれらの武器を最大限に発揮して、彼らはこのラストアルバムを、その「美しさ」によって最高傑作に仕上げた。結局最後になってしまった、ついこの間観た筈のライヴでも、新曲が特にその「美しさ」によって印象深かったそのままに。
マジに、泣くよ。
かつての「土曜日」にも「不眠症」にも「I.N.M.」にも、数え切れない救いや慰めをもらった。そしてこのバンド、五十嵐隆というソングライタは、あれだけの露悪や自虐の曲を書いておきながら、でもその代表曲として語られるのが最も穏やかで前向きなバラード「Reborn」であったように、そのメッセージとロックの「美しさ」の体現こそが真髄であったのだろう。刹那的な曲も美しいから始末が悪いんだけどね。

雨が降れば 傘をさせばそれでいいが
人の心にさす 傘は頼りなく
だから代わりに涙を流すのかな
悲しみにおぼれてしまうその前に
小さくて ちっぽけな 僕たちは
一人ぼっちにならないように 出来ているね
(「ラファータ」)

五十嵐はこのアルバムをさして「万感のアルバムです」と語っていた。
そのメッセージとロックとしての表現力が、いかに筋が通って、貴重なものであったか、去り際になお一層の輝きを放って証明する作品だ。
だから、惜しい。

Syrup16g

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