佐々木丸美『崖の館』創元推理文庫

ネタバレ注意。
佐々木丸美作品が創元推理文庫から復刊されています。凄く意義深いことだと思いますが、ブクオフで見つけ出す楽しみがなくなったのはちょっと残念。
若竹七海の解説にとても共感する。とにかく装飾過多、描写過多な筆致はどこかしら偏執的でさえあって、

 遠く暗い地の果てからおしよせてくるうねり、潮にのって殺意のメロディを奏でる海の竪琴。夜の5線紙が譜を記憶し限りなく冷たい地獄のプレリュードが完成する。吹雪の鍵盤が人の世の哀れを詩い渚の絃が妖しい恋を弾く。すて去ることのできない怒りは偏光する灯台の火に導かれて斜めに深海へ落ちてゆく。それでも非情の風の指揮者は夜の闇にだまされたまま巨大なオーケストラを統合してゆく。
(133p)

こんな読点少ない文章で矢継ぎ早に描写されたら物凄い疲れるんだけど、キャラクタとかこの密度で描かれると確かに立ってくる気がするから面白いような…。

「暴力と殺人は根本的に意味が異なる。世間的にどうであろうとその人間にとって正当な理由があって犯罪を計画し完全に遂行するのは誰にでもできることではない。緻密な計画性、独創性、加うるに実行力、判断力、推理力、あらゆる力が一致する才能、それらが完全犯罪を成らしめる。完全犯罪は芸術だ、ただし影の部分の。言語や思考、その他あらゆる表現は心の抽象でしかない。美を見つめる瞳、生命の輪廻を見つめる瞳、そこからひき出される感動を文学や美術、音楽へと創造する。しかし自分の心を完全に対象化、具象化することは不可能だ。つまり人間は抽象動物でしかないのだ。芸術を生んで建設してゆく限りは。しかし犯罪は逆だ。そこにあるものを消し、移動させ、あるいは抹殺するのだ。形あるものをみじんも残さず。言いかえると何の証拠も残さずミスもなく完全に無に帰することだ。それは文学や音楽や絵画が無から完全なものへと出発するのと反対となる」
 私は疲れて足を投げ出した。壁に身をもたれた。
「私たち何のこと話していたんだっけ?」
(95-96p)

以上のような哲文の饒舌はコント的でさえあり、全体としてトゥーマッチ感。ハマる人はハマるのだろうけれど、俺はどうにも相容れないものを感じてしまう。本格としてもたいした感興はなかったし、何より「雪に閉ざされた館」というド真ん中の舞台設定を、このパラノイアじみた濃密な描写で「静謐」から程遠いものにしてしまっているのが惜しまれる。
『雪の断章』と比べて、主人公の独善性はやや薄れているのでそのあたりは良かったが、それでも従姉妹が死んですぐ、

 死が不気味に感じるのは肉体の活動が停止し魂の抜けがらとなった単なる物体であるから。死そのものは大宇宙の摂理に従うものであり、むしろこの世の悪を脱して清浄な無の世界へ還ってゆくもの。そしてそれは祝福されるべきものだ。死は悲しむべきことではない。なぜなら生はあらゆる悪の温床でありどのように正しく生きたとて、生命維持のための弱肉強食の原罪からのがれることはできないのだから。私たち生命は大いなる無限から生まれて点のごとく小さな有限に生きやがてまたはるかな無限へと帰ってゆく。わずかな有限を生きてゆく意味が何なのかと自分に問うとき、そこから宗教と哲学が萌芽し偉大な宇宙と生命との対比に科学と歴史が耕されてきたのだ。しかし命という有限に比し銀河のかなた宇宙のかなたにある無限はあまりにも巨大である。生死を宇宙法則において見つめるならばそれは冷静に受け入れられるものだ。
 由利ちゃん。
 私は今、あなたの死を哲学しています。(後略)
(227-228p)

とか独りでやり始めた時は笑ってしまった。
ついて行けない感じでございました。
次の復刊企画は斎藤肇とかいかがですかね?
作品の評価はC。

崖の館 (創元推理文庫)

崖の館 (創元推理文庫)