P.オースター/柴田元幸(訳)『最後の物たちの国で』白水社uブックス

ネタバレ注意。
誕生日プレゼント(!)としてのいただきものです。読むのが今頃になったのは、男性からのそれだったからという理由ではありません。一緒にいただいた『蛍・納屋を焼く・その他の短編』も未読なのですが。
オースターを読むのは三冊目。自由奔放なイマジネーションとストーリィテリング、端的には「上げたり下げたり」のダイナミズムはこれまでの作品にも見られたキャラクタでしたが、今回、世界観の荒廃と、主人公に突きつけられる悲劇や試練の苛烈ときたら図抜けています。正直に言って、胸が悪くなるような呈示でありました。
でも、だからこそ、と思える部分もあるのです。繰り返される悲劇の中で、ただひとつの拠り所としての「物語るということ」。対象の特定された語りの中にあって、読み手は限りなく捨象され、ただ「語る」、「書き記す」主人公そのものが浮かび上がるこの物語の根本構造が、それが単純な「救い」ではありえないこともまた明らかでありながら、それでも確かな「希望」…訳者があとがきで述べているところの…として、ラストに価値の輝きを付与しています。
ということで長くなりますが、それが最も端的な、ラスト近くの文章を引用。これはなかなかに感動的でありました。

 けれどもしこのノートが本当にあなたの元にたどり着いたとしても、あなたがそれを読まねばならない理由は何もありません。あなたは私に対して何の義務も負っていません。私だって、あなたの意志に反してあなたに何かを強いたなんて思いたくありません。時には、そうなればいいと願うことさえあるのです――あなたがこれを読みはじめる勇気が出なければいいと。矛盾した話だとはわかっています、でも事実そう思ってしまう時があるのです。もしそうなれば、いまこうしてあなたに向けて書いている言葉も、あなたにとってはすでに見えないものでしかありません。あなたの目はそれらを決して見ず、あなたの脳は私が述べた物語のごくわずかでさえも重荷として負いはしない。たぶんそのほうがいいのだと思います。けれど、それでもやはり、この手紙を焼いたり捨てたりはしてほしくありません。もし読まないことを選びとるなら、これを私の両親に渡してください。両親もやはり読む気にはなれないかもしれませんが、きっとこのノートを持っていたいとは思うでしょうから。実家の私の部屋にでも置いてくれればいい。そうしてもらえば私も満足です。このノートがあの部屋に行きつくと思うと、嬉しくなります。たとえば私のベッドの上の棚に、昔遊んだ人形たちや、七つのときに着たバレリーナのコスチュームと並んで。私を思い出すよすがとなる、最後の一つの物。
(217-218p)

評価はB。

最後の物たちの国で (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

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