村上春樹『騎士団長殺し』新潮社

ネタバレ注意。

「第1部 顕れるイデア編」と「第2部 遷ろうメタファー編」からなる最新長編。

「あたしは夢なんかじゃあないよ、もちろん」と騎士団長はやはり私の心を読み取ったように言った。「というか、あたしはむしろ覚醒に近い存在だ」
(上巻359p)

『折れた竜骨』的な中世ファンタジック・ミステリ…ではもちろんなく、肖像画家の主人公の隠棲生活と、やがて巻き込まれていく不思議な事件を描く。村上春樹作品的に、非常に馴染み深いモチーフ/テーマを散らして展開される…「内向的だが聡明な少女」、「音楽と料理」、「妻を喪(失)うこと」、「自分の恐怖の根源に向き合うこと」、「変化の不可逆性とその必要性」、「性的な放埓」、「メタファと見せかけてあまりに直接的なタイトル」、「背景に暗示される世界史的な悪意と悲劇」。今さらこゆるぎもしない、理知的な文章と卓抜な比喩表現と共に、あまりに村上春樹的な小説であるが故に、ある種の冗漫さを感じることはあった。堅牢な小説世界の中で、作家としての主題を深めていくべき作品と理解はしても、そうした抽象的な思考をカタルシスにまで高めることは、少なくとも自分には難しい。

『1Q84』があれだけドライヴした作品だったので、比べてしまうところもあると思う。しかし特に終盤、主人公のメタファー界彷徨と、まりえの免色家での冒険は、主題にダイレクトに繋がるところだろうだけに、ちょっと残念な冗長さがあった。直前の雨田具彦の病室なんかは緊張感高まるいいシーンだったから、画伯の話が消化不良だった点も含めて残念。まりえと共に屋根裏に上がるシーンもそうだったけど、いいシーンで高まったテンションが維持されない場面が多かったように感じた。

物語のテンションという点で言えば、南京事件や大戦期のヨーロッパ絡み、現代の社会情勢など、社会的なトピックが示される時、主人公の視点に装われている中立性・客観性が崩れる瞬間があって、それはなかなかにスリリングだけど、どうせならその路線でド正面の長編読んでみたい気もした。

それはヒンドゥー教徒の持ち出す巨大な山車のように、いろんなものを宿命的に踏みつぶしながら、ただ前に進んでいくしかない。それが後戻りすることはない。
(下巻211p)

繊細かつ堅牢な、一級品の小説作品であることは無論間違いなく、病院のベッドの上で大いに愉しみはしたのだけど、事前の期待を十全に満たしてくれたかと言われると微妙なところかな。好きなシーン・文章に貼った付箋は多かったけど、特にポジティブな提示はちょっと恐ろしいほどに爽やか。

僕らは高く繁った緑の草をかき分けて、言葉もなく彼女に会いに行くべきなのだ。私は脈絡もなくそう思った。もし本当にそうできたら、どんなに素敵だろう。
(上巻179p)

ユズはそのことについてしばらく考えていた。それから言った。「もしそうであれば、それはなかなか素敵な仮説だと思う」
「この世界には確かなことなんて何ひとつないかもしれない」と私は言った。「でも少くとも何かを信じることはできる」
(下巻528p)

特に後者はほとんどラストシーン。これだけ暗示に満ちた小説の終盤で、これだけシンプルな提示がされるってのも、なかなかに鮮烈なものはあるけど…これをどう捉えていいものか、こじらせた読者としては素直に受け入れ難いところがあるなw

評価はB。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編