eastern youth "極東最前線/巡業 〜ドッコイ生キテル街ノ中〜"

2010.3.12@名古屋クラブクアトロ
観れなかったはずのライヴ。
本来『歩幅と太陽』のレコ発は去年の10月、吉野さんの急病によりキャンセルされたその公演の、言うなればリベンジのライヴがこの日。先輩の結婚式とカブってたんだよね、去年の10月は。重病と充電明けの吉野さんはちょっと痩せてたように見えたけど、アクトにはなんら不安を感じさせませんでした。
フロントマンの生還を祝う、ポジティブなヴァイブス(とか書くとバカみたいだな)が客席に溢れたこの日のライヴ。応える吉野さんはやや照れくさそうに、でもいつもより率直に語ってくれた。病や死の淵の情景について、あるいはそれを経て改めて実感した、音楽やライヴというものの存在について。歴戦のアンセムは、大きな歓声を以て迎えられた。特に「夏の日の午後」から「砂塵」、「雨曝し」を経て「黒い太陽」、ライヴベストとおぼしいセットは、その祝宴ムードをおおいに盛り上げていた。
ただ、僕の感興は、ともすれば「ヌルい」とでも取られそうな(そうでなかったことはあの場にいた者なら明白だけれど)、そうしたアンセム連発パートとはまた違ったところにあった。『歩幅と太陽』は「闘争」のアルバムだと感じられ*1、そこが凄く好きだった。パンクの初期衝動にプリミティブな、違和感と反感、それらに対する反抗と抵抗。この日も「品格」なんて単語を持ち出して語られた、規制の価値観に対するアンチテーゼは、アルバム収録曲、特に「脱走兵の歌」と「まともな世界」に、鮮烈に表明されていたと思う。さらに本編ラスト、「まともな世界」から「街はふるさと」、そして「角を曲がれば人々の」へ至る流れは、その反逆性を大いなる肯定性へと昇華させる、出色の流れであった。

生きていれば、全部ある。
死ねば、全部ない。

MCでも名言が飛び出たけれど、『歩幅と太陽』に先鋭的に研ぎあげたアティテュード、歴戦のアンセムの強度、そしてここに至る苦難をも推進力として、この日のライヴの空間には「全部があった」。無様に転がり続ける人生を肯定し鼓舞する、ただロックにだけできる魔法のようななにか。
アンコールに「夜明けの歌」、ダブルアンコールに応えて「青すぎる空」。「泣き」方面の鉄板セレクションは、「空はつながっていた」といつになくセンチなMCまで含め、名古屋の「空」の下、その帰還を祈り、待ち続けたオーディエンスへの、何よりの感謝のメッセージだっただろう。《いずれ暮らしの果てに散る》ことが定められているとしても、僕はまだまだ、彼らのライヴに震えていたい。
だから、本当によかった。いろいろうだうだ書いてきたけれど、結局はただただ喜ばしい夜だったということです。

セットリスト:1.一切合切太陽みたいに輝く 2.いつだってそれは簡単な事じゃない 3.沸点36℃ 4.荒野に針路を取れ 5.明日を撃て 6.踵鳴る 7.脱走兵の歌 8.夏の日の午後 9.砂塵の彼方へ 10.雨曝しなら濡れるがいいさ 11.黒い太陽 12.デクノボーひとり旅ゆく 12.まともな世界 13.街はふるさと 14.角を曲がれば人々の en.1 夜明けの歌 en.2 青すぎる空

*1:「脱走兵の歌」はダブル・ミーニングかもしれないな。