100s 『世界のフラワーロード』

100sの3rd。
回帰作、なのだと言う。曰く、「中村一義を取り戻すために」。
中村一義というアーティストは、僕に音楽、ロックの世界を大きく開いてくれた存在であり、以来ずっと自分の深いところに根を下ろしつづけている「特別な存在」だ。中学生の時にラジオの音楽番組で「犬と猫」に出会って衝撃を受けて以降、『金字塔』と『太陽』というアルバムをそれこそ擦り切れんばかりに聴いた。「中村マジ天才」、多分絶対分かってなかったけど、友人とそう興奮して語ってたのは微笑ましい思い出。

「変わりたい」「何も変わんない」
そんな論争に熱上げたくらい、
君は自分自身の魔法を信じ続けるかい?
同情の群れは、とうに無い。
(「魔法を信じ続けるかい?」)

ファニィに甲高い声で歌われる、丸みを帯びていながら鋭く突き刺さる、まったく新しい言語感覚で紡がれたオリジナルな「詞」。奔放に跳ね回る言葉を統制するメロディと、構築的な音。デビュー作『金字塔』の時点から完成されていたそのポップ・ミュージックは、作を重ねるごとに先鋭を増し、3rd『ERA』において一つの極点を見る。僕の知る限り、日本ロック史上の最高傑作だと思うし、そう評価する人もまた多いだろう。
こんなバケモノじみたアルバムを作ってしまって、次は一体どうするんだろう、とは当然の憂慮であったが、やがて彼はバンド「100s」を結成し、その活動へと舵を切っていくことになる。正直、僕はいささかの違和感を持て余していた。『OZ』はあまりに才気ばしって感じられたし、『ALL!!!!!!』はあまりにポワー・ポップに振り過ぎているように思った。そのサウンドの中心には変わらず「中村節」のソングライティングがあったし、あんなにライヴを忌避していた彼が、フェスティバルのメイン・ステージで見せた弾けるような笑顔は、何をさておいても祝福すべきことなんだろうと、そうした違和感を抑え込みながら、僕は100sに、かつてのソロでの3枚のアルバムほどの熱中を捧げることができなかった。
そしてドロップされた今回のアルバム。「フラワーロード」というのは中村の地元、小岩の商店街の名前。そこで生まれ、育ち、今も生きる彼のパーソナルな視点が、「世界」という広がりと同居する、タイトルからしてなんだかワクワクする作品だったが。

魔法はさらに上へ。なくすはずないだろ。
さらに上へ。殺せはしないだろ?
(「魔法を信じ続けているかい?」)

かつての「魔法」を「信じ続け≪てい≫るかい?」と歌われるこの曲は、彼の今までの作品を象徴するキーワードを埋め込みながら展開される。商店街のネオンの向こうに見る流れ星の情景が、息を飲むほどに美しいリフレインで描かれる「モノアイ」、気の狂った警官とか死んだ犬とか、「セブンス・ワンダー」や「いぬのきもち」ではそこに生きるひとびとの情景が、そして「最後の信号」では、ただぼーっと交差点の信号を見つめる自分自身、「フラワーロード」にあってそれを見つめ続けてきた自分自身が描かれる。

いろんな物語が生まれ、死んだ、この場所で、
産まれ飛べるようになった君への歌、唄う。
(「フラワーロード」)

この作品はだから彼の人生と、イコールで繋がれた音楽を再発見する「物語」だ。最もコアに近い部分を曝け出して、そして信頼すべき仲間たちは、その「再会」を祝福するためだけに音を鳴らしている。前作よりパワー・ポップの爆発力やギター・ロックの推進力を抑えめに、躍動的なことばとメロディが自由に響いている。
かつて孤独と違和感を、「状況が裂いた部屋」において、ポップ・ミュージックという牙に研ぎあげた少年との、祝福された再会の音楽。肯定のパワーに満ちていながら、でも涙腺を破壊することばのキレや、湛えられた孤独や悲しみの深度、そうした彼の表現は精度を落とすことなく共存して。

ハーイ、ジョン、聞こえますか?
一回、あなたに連れていかれたとこと同じように、
人にとって、絶対、
忘れられない、その場所がある。
―ありがとう。―
(「世界の私から」)

この曲のラスト、拍手のSEと≪ありがとう。≫を、僕は魂に打ち立てられた新旧の金字塔に返したいと思います。
いいアルバムをありがとう。おかえりなさい。

世界のフラワーロード(DVD付)

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