夏目漱石『坑夫』新潮文庫

ネタバレ注意。
家庭内読書会「古典的名作を読もう」企画、第四回課題本。
非常にスリリングな小説でありました。
主人公の青年が家を飛び出し、ポン引きに出逢って導かれるまま、坑夫になるべく銅山に潜る、まとめてみればそれだけのお話。スリリング、というのはそのストーリィラインとは別のところにあって。
ラスト一行はこんなん。

(前略)――自分が坑夫に就ての経験はこれだけである。そうしてみんな事実である。その証拠には小説になっていないんでも分る。
(268p)

これは巨匠にだけ許された開き直りオチ、エクスキュースだろうけど、確かにストーリィにもキャラにも、小説としての起伏と深みは感じられない。スリルがあるのは、その代わりに紙幅を埋め尽くす主人公の思考において。
ストーリィを思いつかなかったのか、元からそういう志向なのか、主人公に託された小説家の視点は、彼が行き合う人・事物に思惟をめぐらし、またその思惟や感情の流れについてさらに考える。現在と過去をひたすら想起し、考える。少し物語が動けば、またその先ですぐ思考に埋没する。「そんなんいいだろ!」「またかよ放っとけよ」と、途中から突っ込むのもやめた。
凡百の作家であればその過剰は物語の流れを妨げるものにしかならないのだろうけど、そこはさすがに日本文学史上のレジェンド、描写には落ち着きと威勢のよさがあって、それらは小説にしっかりと奥行きをもたらしていると感じられたし、そもそも単純に面白いのでどうにもならん。アタマの松原の描写から面白かったよ。饅頭食べるとことか、《長蔵観》(66p)とか、要所要所のくすぐりにもくすぐられました。
とまれ、解説でちょっと言われている《〈意識の流れ〉を描いた実験小説》(280p)というのは、自分的には腑に落ちる評価でしたね。幼少期に読んだ「坊ちゃん」、高校教科書の「こころ」以来の漱石でしたが、そうかこんなに過剰でスリリングな作家だったかと、新鮮な驚きがありました。
評価はB。

坑夫 (新潮文庫)

坑夫 (新潮文庫)