『告白』

@ミッドランドスクエアシネマ
封切り初日の土曜日でしたが、満員ではありませんでした。こんなもんか。
原作もそれなりに評価はしているのですが、そのへんの監督によるフィルムだったら観なかったでしょう。なんといっても中島哲也、ポップでサイケデリックなエンタテインメント撮らせたら当代随一の映画作家が、陰惨でグロテスクな原作をどう映画に仕立てたものか、それが興味の第一でした。だってあんなクソみたいな原作からあんな楽しいミュージカル映画撮ったんだぜ。
…で、そんな中島ワールドに無理矢理引きずり込んだものかと思っていたのですが、実際は結構原作に忠実な造りでした。モノローグを基調に、教室とメールの喧騒で密室劇を彩った序盤、様々な映像演出でグロテスクな心情描写とその噴出を描く中盤、スペクタクルなクライマックスと、その凄みにおいて出色のラストワンカット。それらすべてに通底する、多彩な音楽構成。映画演出としての手法は、今までと変わらずポップでキャッチーでありながら、しかしそれらは物語の核にある、陰惨さ、グロテスクさをより際立たせている。極めて「正しく」、「幸福な」映画だと思います。それらの単語とは最も遠い物語でありながら。
確かにグロいけど、この程度の歪みや陰惨や禍々しさは、別にそれ自体を語れるものではないのです。どうも原作者自身、そのあたりを自分のキャラクタだと思って濫用しているようなふしもあるけど、原作の価値はそのようなところでなく、それをモノローグだけの構成で、どんでん返しまで備えて鮮やかに展開させたその手法だと思ったし、それはある程度この映画でも再現されています。だけどこの映画はそれを越えて、エンドロール直前のまさにラストワンカット、主演女優がアップで見せる圧倒的な芝居によって、単なる手法、技術の域を越え、その物語の根幹にある問題意識にさえ説得力を与えられているように感じます。原作にそんなものがあったかどうかさえ分からないというのに。こういうシーンが撮れたこと、これはまさに映画の醍醐味であり、演出家の勝利だと言えるでしょう。そして僕は初めて、松たか子という女優を凄いと思ったのでした。
…思えば松たか子の映画なんて、『四月物語』以来だなあ、多分。