村上春樹『めくらやなぎと眠る女』新潮社

ネタバレ特になし。
処分対象銘柄の合間に読んでいました。駄目な小説に麻痺してしまわないためにも。しかし昨日の本と、同じ書籍という形態で流通している事実が信じ難い、まったく。
欧米での英訳コレクションの日本版、というまどろっこしい短編集。言うなればベスト盤であって、連作あるいは編まれたものとしての妙味は薄く、また既読の作品もあって、新鮮な感動というのはオリジナルの短編集より弱くなってしまうのは致し方ないところですが、そこはなんてったって村上春樹の短編集、文章、イメージ、その相乗効果としての文学的な喚起力において、最高峰のクオリティを示していることに間違いはありません。
まあ昨日の本とは真逆の意味で引用が無意味だとは思うのですが、自分用に以下をメモ。

(前略)それは彼がかつて経験したどのようなセックスとも異なっていた。それは彼に小さな部屋を思い出させた。綺麗に整頓された感じの良い部屋だ、居心地もいい。天井から色とりどりの紐が下がっている。それぞれに形も違うし、長さも違う。一本一本が彼の気持ちを誘い、震わせる。彼はそのどれかを引っ張ってみたいと思う。それらの紐は彼に引っ張られるのを待っているのだ。でもどの紐を引っ張ればいいのか、彼にはわからない。どれかを引っ張れば素晴らしい光景がさっと眼前に展開しそうな気もするし、逆に一瞬にしてすべてが駄目になってしまいそうな気もする。だから彼はひどく迷ってしまう。迷っているうちにその一日が終わってしまう。
(「飛行機――あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか」、81-82p)

(前略)なんだかまるで古代ローマの下水道のような匂いだった。
(「スパゲティーの年に」、256p)

後半に収められた、多く『東京奇譚集』所収の近作のひたすらに高い完成度も、初期作品のどこか翻訳小説然と「し過ぎた」佇まいも、ひと味違って、でもどちらも感興に満ちた才気煥発なる達成。特に前者、「日々移動する腎臓のかたちをした石」、主にキリエという女性に関して、『ピンボール』や『羊』にあった、「比喩のように見えて比喩じゃない」、ユーモラスな直截さがあって可笑しかった。
しかし作品集通してのベストはやはり「螢」。『ノルウェイの森』の原型とおぼしいのだが、これはよりラディカルでキレてると思う。静謐な情感を湛えた文章・描写、ラストの余韻、ちょっとただごとではない。日本文学史上で、最良の短編のひとつではないか。

 土曜日の夜になると僕は相変わらずロビーの椅子に座って時間を過した。電話のかかってくるあてはなかったが、それ以外にいったい何をすればいいのかわからなかった。僕はいつもテレビの野球中継をつけて、それを見ているふりをしていた。そして僕とテレビのあいだに横たわる茫漠とした空間を見つめていた。僕はその空間を二つに区切り、その区切られた空間をまた二つに区切った。そしてそれを何度も何度もつづけ、最後には手のひらに載るくらいの小さな空間を作りあげた。
 十時になると僕はテレビを消して部屋に戻り、そして眠った。
(「螢」、346p)

評価はA−。

めくらやなぎと眠る女

めくらやなぎと眠る女