帚木蓬生『ヒトラーの防具』新潮文庫

ネタバレ注意。
ヒトラーに贈られた剣道防具が発見される、という発端からは、すわ秘宝の地図でも縫い込まれてて、それを奪おうとやってくるネオナチの大軍とドンパチやる国際サスペンス・アクションか? みたいに身構えたのでしたが。実際に展開されるのは完全な戦争小説。
ヒトラーの防具」と同時に発見された駐独武官の手記を中心に、ナチス政権下のドイツの市井、終戦に至るまでの閉塞が描かれます。その日独ハーフの主人公、聡明でヒューマニティ溢れる香田青年の視点から、戦時下の日常と非日常が、こまやかに、たっぷりと。
市井のドイツ人との交流、匿うことになるユダヤ人女性との交情、死別の哀しみ、精神科医である兄との間で交わされる「人道」に関する問答。読み応えのある戦争小説ではあるが、喧伝されるようなエンタテインメント的「感動」はおぼえなかった。むしろ作品を支配している「無力感」に、ただ打ちのめされた。
この小説を支配しているのは、圧倒的な「無力感」である。市井のひとびとは無論戦争に翻弄されるだけだし、主人公が仕える東郷茂徳大島浩といった「重要人物」たちによる国際情勢に関する議論にも紙幅は割かれるが、それはいっそ滑稽であるほどに非生産的で、なにものも産み出さない。今映画やってる暗殺テロ未遂なんて、シュタウフェンベルクの名前すら出てこない。その「失敗」がただ仄めかされるだけである。
主人公はやがて居合の腕を見出され、「ヒトラーの防具」…総統の特別身辺警護の役に就くことになる。自殺を偽装して逃亡を図るヒトラーに義憤の一太刀を浴びせ、間接的に殺害することになるのだが、物語のクライマックスにおけるそのヒロイックな役割でさえ、虚無的にしか映らない。末期の第三帝国において、あそこでヒトラーが死のうが死ぬまいが、物語の位相にははっきり言ってどうでもいい話だ。その後、疲弊し果てた主人公が、恋人の眠る庭を求めて焦土の廃墟と化したベルリンを彷徨う情景こそ、この小説を象徴するものだと思う。
すべてが無に帰し、そこにヒロイズムの入り込む余地などない。「感動のエンタテインメント」の表層を纏いながら、実はストイックに戦争の真実を顕した小説だ。
評価はB−。

ヒトラーの防具(上) (新潮文庫)

ヒトラーの防具(上) (新潮文庫)

ヒトラーの防具〈下〉 (新潮文庫)

ヒトラーの防具〈下〉 (新潮文庫)