京極夏彦『魍魎の匣』講談社文庫

ネタバレ注意。
『姑獲鳥』とこっちと、どっちが先だっただろう。初めての森博嗣が『今はもうない』という考え得る限り最悪のチョイスだったことからも分かるように、図書館に入ってるミステリを片っ端から読んでたから、こっちが先だった可能性は充分にある。どっちにせよ10年前。友達が部活終わるのを待って、体育館前の廊下に座ってノベルス版を読み耽った記憶があるなあ。山口雅也の解説はその「空気」をうまく伝えてるけど、目の前に無限の沃野を感じたあの頃は、遠く思い返してもなんとも幸福な時代でありました。
で、映画観たら、どうしても再読したくなってしまったのです。年末年始はほぼ、『収穫祭』とコレを読むのに費やしましたとさ。
なので映画との相違点をメインに語りましょう。事件の相関関係は根本的にズレていたのですね。このシリーズではいつもいつも、いきなりテンションを限界まで高めてくれる魅力的な「書き出し」は、原作の相関関係の中でこそ初めて活きてくるわけで。映画はラストにもってきちゃったけど、そうなると久保にムリヤリおかしなトラウマ背負わせたりしなくちゃならなくなるわけで。不可能状況下における誘拐も端折れば、「匣」=「人工人体」というメインプロットのカタルシスもなくなりますよね。中坊の時にも読みきったプロットだったけど、この仕掛けはやはり惜しい…ということで、あまり評価できる脚色ではありませんでした。結局フォーカスされたのは猟奇性だけ、という評価は変わらず。
ただ陽子と美馬坂との関係は、原作だとややトゥーマッチに感じられた。あと全然若かったんやね。永作さんで見たかった、とか言うのは、自分でもいい加減そればっかかよと思う。
京極堂はまあ、確かに落とせてないっちゃ落とせてないんだけど、ちゃんと喋ってます。安心しました。
あと唯一、木場は案外忠実だったのかも、と思えるダメさでした。
…木場ってこんなんだったっけ?
評価はB+(再読)。

文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)