平野啓一郎『日蝕』新潮文庫

ネタバレ注意。
今頃読む、というね。『一月物語』とかは読んだ記憶があるのだけれど。
で、宗教哲学小説ですが。文学の如何は理解の埒外ですが、小説としては十分に楽しみました。文体は偏執的ではあるけれど、*1読み難いという印象はないし。ストーリーもそうで、難渋さはなく、むしろエンターテインしてる。クライマックスの神秘体験も、緊迫しつつ、素っ頓狂でもありつつ、でも神聖、という名場面だ。
解説なんかではいろいろな見方が提示されてるけど、そうした「文学論」に立たずしてなお、質の高い小説ではあると思います。俺にはそれで十分。
なんだか意味が分からず、面白かった文章を引用してみる。

 この両性具有者(アンドロギュノス)には、慥(たし)かに、若さと云うものに対する、或る種の明快さが在った。しかし、その若さそのものは、懼(おそ)らくは何百年、何千年と云う鉱物的な遅々たる成長を以て、云うなれば、老ずることを以て得られたのであろう。何故(なにゆえ)と云うに、その顕現する所の明確さには、既にして裏側から晦匿(かいとく)が迫っているからである。晦匿に因る難解さとは、一つの衰耗に外ならない。そして、衰耗とは即ち、老である。若さとは固より、表面に止まるべき質のものであり、故に、抑(そもそも)裏側と云うものを有さず、裡(うち)に深まることが即ち、表面の無限の体積であり、奈何程(いかほど)に内部へ浸透しようとも、その達する所は常に表面に在る所のものと同様であらねばならぬのである。この力強い単純さは、しかし、何と脆(もろ)いものであろうか。丁度、屢(しばしば)純粋の金属が合金よりも壊れ易(やす)いように。――だが、今私の眼前に在る両性具有者(アンドロギュノス)の肉体は、それとは反対に、丹念に老を重ねることに因って成っているのである。それが為に、若さが本来備えている筈の凋落(ちょうらく)の予感を知らない。老いることが即ち、若さそのものを完成せしめるのである。老が若さに先んじて、尚(なお)若さの後に連続しない。若さの先には、唯若さそのものしかない。老いることこそが、肉体を完(まった)き若さへと至らしめむとするのである。……
(133p、括弧内ルビ)

…なんか、なんか凄い気がする。
評価はB。

日蝕 (新潮文庫)

日蝕 (新潮文庫)

*1:小説における偏執性とはこういうことを言うんだよね。この後に読んだんだけど、大説のあれは違うよ。しかし同じ京大でもどうしてこう…。