小松成美『中田英寿 鼓動』幻冬舎文庫

ネタバレ特になし。
蔵書整理キャンペーンでいまさら読んだのですが、凄く面白かったです。
「天才」という存在の他に漏れず、ピュアでナイーブな一人の青年と、その才能に魅せられた人々の真摯な情熱。未知への希望と恐れ。さまざまな桎梏に対する戸惑いと毅然。日本のサッカーのフロンティアを切り拓いた史的偉業の、これは生々しくも誇り高い記録である。
森達也のドキュメンタリに対する態度とその達成を、僕はその著作のレビューで何度か讃えているが、この作品はそれとはまったく逆のアプローチを採っている。著者・小松成美の姿・思考は、このドキュメンタリからまったく窺うことはできない。ただ冷徹な記述者として彼女は存在しているだけだが、そのストイシズムがなにより、著者がこの作品に懸けた思いの強さを雄弁に示していると思う。というかこのあたりの方法論については、重松清の出色の解説に何より詳しい。本文に寄り添い、ひっそりとその価値を讃えるものとして、それぞれの内容は理想的な関係にある。
ただ少し付言するならば、やはり中心的に描かれる中田英寿とマスメディアとの関係性に、おそらくは意図的に批評的にあらんとしていたのだと思う。プロ化から数年を経ながらも、国際的には未だ黎明期と言ってよかった日本サッカー界に現れた若きカリスマ(…という単語がその最たるものだが)を、徹底的にカリカチュアし、消費し、果ては歪曲した虚飾のメディアへの、あまりにも高踏で、尊厳をさえ備えたアンチテーゼだ。「あの」エピソードを読むたびに、朝日新聞の記者は自分の「ジャーナリズム」を今どう思っているのだろうと哀感すらおぼえる。まあこんなブログで書くようなことでもないな。
コントみたいなアレッサンドロ&ルチアーノのガウッチ親子もいい味出してるけど、やはり「主役」たちには敵わない。ジョホールバルの歓喜の後、この本の二人の主役の間で交わされた会話は粋の極みだね。
評価はB+。

中田英寿 鼓動 (幻冬舎文庫)

中田英寿 鼓動 (幻冬舎文庫)