『プライベート・ライアン』

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スピルバーグによる戦争映画。ノルマンディ上陸作戦と以降の対独戦線において、一人の兵卒を救出する任務を受けた小隊の戦いを描く。
三時間に迫ろうかという長尺だけど、ほとんどを戦闘場面に割いていて、臨場感、緊迫感はさすがです。特にオマハ・ビーチ上陸における、そのミもフタもないグロテスクさが、この作品で描こうとした戦闘行為の現実であるのでしょう。『フルメタル・ジャケット』を観て以降、あの作品の芸術性が戦争映画を観る時のモノサシとして忍び込んでしまうのだけど、それとは異なる「戦争」の描き方をして、主題の伝わる場面でした。基本的にはヒロイズムに乏しく、それは敬虔で有能な狙撃手であるジャクソンに仄見えるぐらい。
全体の印象としては、派手なアクション戦記である割に、虚無感に支配された映画です。そもそも作戦の目的からして、戦意高揚(ないし厭戦気分蔓延の阻止)のプロパガンダに繋がるような、作中小隊員によって問われるライアン本人の資質を云々するに至るまでもなく虚しいものだし、アパムの葛藤とドイツ兵の射殺のエピソードも、その怯懦によって何人も犠牲にした割に至って卑小だし、決着においても本隊投入によって解決するならそれまでの白兵戦の意味なんだって話だし、そうして至るミラーからライアンへの遺言も、祈りや激励とも、あるいは呪いとさえ言えない、単なる空疎な呟きにしか見えなかった。
すべてが無意味で、命は等しく無価値に四散し、そこから受け継がれるべき意思も思いも、何もない。老いたライアンの縋りつくような述懐も、それを家族が見守る情景も、俺には何かが結実した成果と見えなかった。それが戦争というものの寂寞とした現実だと、居並ぶ無名の…一応の「認識票」が刻まれていても…墓標が告発しているような、ヒューマニティからほど遠い、虚無的なラストシーンでした。