ネタバレ注意。
いっぱしのミステリ読みを気取っておきながら、実はチャンドラーを読むのが初めてです。しかも春樹訳という付加価値があって。
本文ここまでかよ!と思いもしたのですが、訳者自身が40pにもわたって愛のある、そして的確な解説を書いていますので、それに付け加えるべきことなんてあろうはずもなく。
それでも気付いたことを二、三。
まず文章、それによる場面の見せ方というのは卓抜なものがあると思います。客観性と迫真性の心地よいバランス。このクオリティに訳者がどれだけの貢献をしているものか、原文参照できない読者には判断のしようもないですが、現代日本で間違いなくトップの文章巧者が褒めちぎるぐらいなので、まず間違いなく原文自体が一流なのでしょう。《昆虫学者がカブトムシを見るときのような目つきだった。》(317p)ってのはあまりにも春樹然としてて笑ってしまったけど。
あとはキャラクタ。なるほどテリー・レノックス、ミステリ史上に残る名犯人だと思うし、その演出も心憎いばかりですが、言及の多くはやはりフィリップ・マーロウその人に割くべきでしょうね。上述の文章、それに視点人物としてもたらす「角度」の効果においても、この小説の主人公が小説全体にもたらすものの大きさが端的に顕れていますが、読者としての素朴な感想は、「こんな奴だと思わなかった」。
もっと物腰柔らかなジェントルマンだと思ってたのに、この人実際は誰彼構わず喧嘩売りすぎ。今まで俺が読んだあらゆるミステリの内で、間違いなく最も狷介な人格の持ち主でしたが、彼の凄いところは、そのストイックなアティテュードが魅力的な女性を前にしてもまったく揺らぐことなく(つまり喧嘩を売り)*1、結局最後まで貫き通されてしまうことなのです。ラストに至っては、一服の爽快感さえ感じさせてくれます。
こうした主人公でなければ、探偵×犯人のこうした交感、そしてそこから派生するラストの叙情性は描出し得なかったことは確かでしょう。そうして見ると、なるほど、確かにこれぞハードボイルド・ヒーローだわ、と思うのでした。
ああそう、こちら奥さんに貸していただきました。ありがとうございました。
評価はB+。
- 作者: レイモンド・チャンドラー,村上春樹
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2007/03/08
- メディア: 単行本
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*1:でも《「あなたはその方法をよくご存じのようでしたが」》(301p)のあたりは若干未練たらしくて笑えた。