『ナインティナインのオールナイトニッ本 vol.1』ヨシモトブックス

土曜日でも日曜日でもなく。
一週間で一番待ち遠しいのが「木曜日」だった時期があった。高校から大学にかけて。
木曜の深夜1:00になれば、二人の喋りを聴いて、コーナーネタに腹を抱えて笑うことができる。そう考えるだけで、煩悶や焦燥はその実際のまま、卑小なものとして吹いて飛ばすことができた。
そうやって、僕は「ナイナイのオールナイト」と共に青春時代を過ごしたのです。MDに落として何度も繰り返し聴いたから、その後の人生で、うつった似非関西弁を何度も恥じ入ることになったのです。
そしてその15年の歴史で初の、番組本ムックシリーズ。
この番組本はバカ売れしています。「ヘビーリスナー」と二人が敬愛を以て呼ぶ彼らのリスナたちが、それだけこの番組に強い思い入れを持っている証でしょうし、それが広範囲・広年代にわたっているであろうその「広がり」の価値が、この編年の編集に厳然と立ち顕れています。
こんな風なことを書くのは「芸人」のラジオ番組に対してむしろ礼を失しているかとも思いますが、僕が何より惹かれるのは、彼らがこのラジオで見せる、率直さや真摯さの部分なのですよね。芸の世界、彼らの場合はむしろさらに過酷なテレビの最前線に立ちながら、それゆえの苦悩や、生来の小心を覗かせる様子、それを曝け出せる場としてのラジオ、それを熱心に聴き、「イジって」くれるリスナとの信頼関係、そしてそれを経てのテレビとの相互作用。「ナイナイのオールナイト」という一ラジオ番組はそのアナログな枠を超えて、「ナインティナイン」というメディア・スターの関わる、あらゆる意味でのエンタテインメントの核として、稀有な存在感を放つ存在だったのです。少なくとも、僕にとって。
この第一弾は、風俗史と共に、番組の歴史を編年・編週で振り返る構成。それぞれ絶妙のチョイスで爆笑できますが、これは聴いてないと分からないでしょうね。実際僕も'98年頃からドストライクで爆笑してましたけど、それ以前は想像することしかできないので悔しくもあったり。
でもその歴史を順に見て、あるいは付属のベストトークCD(感涙)で聴いていくと、番組開始当初の「トガった」、それは今振り返ると緊張感と困惑の大きい様子から、徐々にリスナとの信頼関係、番組への愛着が醸成されていく様子は、僕が慣れ親しんだ番組の空気を併せて考えて、とてもとても感動的なものだと思います。特に顕著なのは二人の回顧トーク、中でも「SUPER」への改編に際してのものでしょう。ここに彼らのリスナに対する姿勢、その変化が端的に示されています。こうしてこの番組によってリスナたちは「育て」られ(その中から何人もの有能な構成作家が生まれ)、ナインティナインという芸人もまた「育って」いったのだなあと、なんだかそれはとてもあたたかい感慨なのですね。きっとラジオというメディアは、そうした幸福な関係をいくつも産んでいるのではないかと思いますが、僕が出会い、選んだそれが「ナイナイのオールナイト」で本当によかったと、それは小揺るぎもしない確信としてあります。
さて、岡村さんと矢部っち、二人のキャラクタと両翼を成すこの番組の魅力であるところの、異常に質の高いハガキ職人たちのネタは、これ以降に期待ということでしょう。でもそれが編集された場合、どういうレビューを書こうか迷ってしまうところです。ベスト・ジャネットなんてどうしよう。「シモネタ注意」の予行演習として、この本で一番笑った欄外の「クイズ!アホ学王」のネタをメモ引用しておきます。

問題 「顔面騎乗」を「僕」という言葉を用いてキレイに言い換えなさい
答え どうしようもない僕に天使が降りてきた
(87-88p)

…。
最後に座談会、黒沢と中田と金田、好感度は無限に上昇しました。
評価はA。

ナインティナインのオールナイトニッ本 (vol.1)

ナインティナインのオールナイトニッ本 (vol.1)